オフビート芝居とは|俳優は哲学者であり、精神分析者である

オフビート芝居

<オフビート芝居はなぜ必要なのか>

ドラマは、常に今の時代を映し続けます。

それは、観ている人たちが、ストーリーに共感し感情移入するためには、「今」という時代を的確にとらえ、リアルに表現することが必要だからです。

たとえば、出演者の服装やヘアスタイル。街の景色や建物。部屋の中の家具や小物などが設定の時代とズレていては、違和感を感じます。さらに、洋画を見てみると、これまでにはあまり登場しなかった、「東洋人」が登場人物に入るようになりました。これも、「今」という時代の日常的な風景になっているからこそ、キャスティングされているのです。

ここまでは、社会情勢などによる外見の風景のお話ですが、ドラマでは、外見だけではなく、「今の時代の人間」の内面も、俳優がリアルに演じて、説得力を持たせる必要があります。

<演技のリアルさと説得力とは>

では、そもそもリアルで説得力を持つ演技とは何か。

ひとことで言うなら、「本能に訴えかける」ことこそが、演技に説得力を持たせるためには必要なことなのです。

それでは、たとえば、生きたいと願う。という「生存本能」について、考えてみましょう。

当然、この生存本能があればこそ、生き物は種族が絶えずに生き続けてきました。しかしこんなお話があります。孤島に住む草食動物が、大繁殖により食べ物が足りなくなり、さらに密集して、パーソナルスペースを侵されることで、自ら入水して集団自殺を図る。というお話です。

これを「人」に置き換えて考えてみると、これまでの時代は、生きることに精一杯であった時代。そして、欲しいものの為にギラギラと頑張った時代から、現代は生まれながらにしてすべてが揃っていて、欲しいものがない。そんな現状の中では、生きることや、欲望などは、実感することもなく「生きる意味」さえも見つからず「生きること以上に大切なもの」や、「生きる意味」を探し続け、さまよい続ける時代。生存本能すら揺らぐ。そんな時代になっているのです。

そのような時代を映すためには、当然、その心情を表現する演技が必要なのです。

<オフビートとはなにか>

「オフビート」とは、主に音楽(特にジャズや、ラップ)でよく使われる用語です。

大きく、強く、規則正しいリズムとは反対の、弱くて、かつ思いもよらないところで打たれるビートを「オフビート」と呼んでいます。

それを演技に置き換えるならば、感情を表に強く押し出し、だれがどう見ても「その役の感情が読み取れる」わかりやすい演技を「オンビート」と呼ぶならば、「オフビート」は、感情はあまり強く表に出さず、その人物はいったい何を考えているのかが、わかりにくい。それでも、心の中では、繊細に感情が揺れ動いているため、まわりにいる人とは違う「その役ならではの気持ちの変化(ビート)」が感じられるので、興味をそそる。

そして、さらに現代社会で増え続ける、「生存本能」すらあてはまらず、「生きる意味を探し続ける、死んだ魚のような目」をあわせ持った演技こそが、「オフビート芝居」なのです。

<オフビートと無感情の違い>

そしてもう一つ。オフビート芝居の作り方を間違えないために、大事な事を伝えます。

主役と脇役の違いのひとつに「感情の揺れ動きの幅」というものがあります。

ストーリーの流れの中での、主役の感情の揺れ動きを描くのがドラマです。極端に考えるならば、感情が揺れ動いていくのをどう見せるかが主役の仕事であり、主役の感情をどう揺れ動かすのかが脇役の仕事なのです。

そして、感情が揺れ動くからこそ「主役」というのは魅力的に見え、感情移入もできるのです。

つまり、たとえ今回のテーマである、感情を強く表に出さない「オフビート」な芝居をするにしても、内面の感情が揺れ動いてなければ、それは魅力的に魅せることはできないのです。

オフビートとは、ビートが無いわけではありません。ビート(感情の揺れ動き)が無い芝居は、ただの無感情な魅力のない芝居なのです。


さて、ここまで私なりのオフビート芝居論をお話しましたが、そのオフビートな芝居とて通過点であり、ドラマは、常に変わりゆく今の時代を映し続けます。 そしてその時代を生きる「人」を描き続ける必要のある、俳優こそ「人」を読み解き分析する哲学者の目線を常に持って、役作りの基礎を作り、精神分析者としてセリフの意味を考えなくては、ただただ表面で造るだけの薄っぺらい演技になってしまうのです。

そこをふまえて、しっかりした基礎を創り出せたとき、その基礎の上には、誰よりも高くて新しい建造物を打ち建てることができるのです。




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