舞台を降りる|芸能スキャンダルについて

舞台を降りる芸能スキャンダル

出演決定していた舞台からの途中降板劇。

なんともスキャンダラスで、興味がわく話題ですね。

現場担当者にしてみればいきなり地獄のテーマパークに放り込まれたようなものでしょうね。お察しいたします。

 

最近話題の降板劇を見るにつけ、いろいろ考えさせられることがありました。

 

まずは私の持論です。

 

「何があっても降りちゃダメ」です。

※健康上の問題以外では。

 

どんだけ腹立つことや、理不尽なことがあっても受けた仕事はやり通すべきです。

そして、打ち上げが終わって帰るときに、相手にビールぶっかけて「お前とは二度とやらねえよ!」と言ってやればいいんです。

 

俳優・歌手・声優など、プロタレントの活動は常に<商品=自分>と、<クライアント=お客さん・ディレクター・演出家など>が直接せめぎあう場での仕事になります。

そこでは芸術家や、プロの表現者同士が互いのポリシーやプライドをもってせめぎあう場となります。

それぞれ出会うまでの環境も違えば、価値観も違うメンバーが集まっています。だからこそそれぞれの想像を超えた作品が生み出されていくことにもなるのです。

そしてその過程にはいろいろなことがあるでしょう。

 

一番の問題は・・・、そうです。昔からある「アレ」です。

「人間関係」です。

 

たとえばアーティスト(芸術家)にとって、全身全霊をかけて創ってきたものを「否定」されるということは、生き様を含めたすべてを「否定」されることに等しいことです。

否定する側になんら傷つけようとする意識がなくとも、深く傷つきます。

 

またそれぞれの感性が違うゆえに、より良いアイデアを引き出す手段として「相手を追い詰める」という手法を使うこともあります。

 

そんな過程の中では「人間関係」というのは複数人で作るアート作品に限らず、プロジェクトチームで仕事を成し遂げるものにとっては一番デリケートであり、一番大切な部分です。なぜそんなに大変なことをあえてするのか不思議ですよね。でもその「大変な人間関係」でもって成功した時には、1+1が単純に2ではなく答えが何倍にも広がっていくのです。

そんな共通の価値観をもってスタートしたプロジェクトにおいて途中降板するということは、「共有も想像もできない独自の価値観やその人だけの判断基準をもって」降板するということなのです。

この「共有も想像もできない独自の価値観やその人だけの判断基準をもっている」ということこそ使う側にとっては最もリスキーなことです。大きなプロジェクトになるほどリスクも大きくなります。

 

使えませんよね。

 

しかしながら冒頭で「いろんなことを考えさせられた」というのは、はたして今後も前述のような手法やシステムが次世代のアーティストに合っているのかどうかいう問題定義にもなった感じがします。

 

指示・指導する側も、ただ厳しくやっていただけでは「次回作からの参加者や賛同者が減り選択肢が減っていく」ことになります。一方で追い詰らめることで相手の想像を超えるアイデアが誕生して、その「厳しさに感謝される」こともすごくよくあることなのです。

つまりは、根底に「良い作品を作るため」というポリシーを見失わない。

これが一つの答えではないでしょうか。

 

でも「何があっても降りちゃダメ」です。

※健康上の問題以外では。

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。




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